いまから200年ほど昔、イギリスの田舎の小さな家に、メリーという女の子が暮らしていました。日曜の朝になると、メリーは両親と一緒に4キロほど離れた村の小さな教会に歩いて出かけます。教会では聖書のお話を熱心に聴きました。学校で読み書きを習い、聖書が読めるまでになりましたが、教会に行かないと聖書を読むことができません。その頃、聖書はとても高価で貴重なものだったのです。

「もっと聖書を読みたい」メリーはやがて、自分の聖書が欲しいと願うようになりました。メリーの家はとても貧しく、靴も買えないような暮らしぶりでしたが、メリーは聖書を買うために一生懸命、お金を貯ためました。そして6年が過ぎ、ようやく聖書が買えるほどのお金を貯めることができました。

でもどこで聖書が買えるのでしょう? 聖書を探すメリーに、バラという町にいる人が聖書を数冊持っていると教えてくれる人がいました。

ずっと欲しかった聖書が手に入ると聞き、メリーは26マイル(約42キロ)も離れたバラの町まで歩いて行く決心をしました。それはメリーが16歳の時でした。

果てしなく思えるような長い道のりを、メリーは裸足で進んで行きました。多くの小道を抜け、谷や小川を渡り、丘を越えて、ようやく町に到着しました。 そして、人々に道をたずねて、とうとう聖書を持っているというチャールズ牧師の家を探し当てたのです。

「聖書が欲しいんです。」玄関のドアが開くと、メリーはチャールズ牧師に頼みました。ところが、チャールズ牧師は困った顔をして言いました。「聖書は全部売れてしまったんだ。残っている3冊も友だちと約束ずみなんだよ。」

これを聞いたメリーは全身の力がぬけて泣き出してしまいました。

メリー・ジョーンズに聖書を贈ったトーマス・チャールズ牧師

メリー・ジョーンズに聖書を贈った
トーマス・チャールズ牧師

メリーの聖書

メリーの聖書

チャールズ牧師はそれを見てしばらく考えこんでいましたが、やがて隣の部屋に行くと聖書を手に戻ってきました。

「メリー、きみの聖書だよ。」チャールズ牧師はなんと3冊ともメリーに手渡したのです。「きみの町に住む人たちにも分けてあげるといい。」チャールズ牧師は1冊分のお金しか受け取りませんでした。

メリーは真新しい聖書を手にすると、飛び上がって喜び、心から感謝をしました。

「チャールズさん、イエス様、ありがとう!」

メリーは喜んで家に帰っていきましたが、聖書を求めて裸足で旅してきたこの少女のことがチャールズ牧師の頭から離れませんでした。

「もっと大勢の人々が聖書を手にできるようにしなければならない。」決意を胸にロンドンへ行ったチャールズ牧師は、多くの著名人にメリーとの出来事を訴ったえかけました。

初期聖書協会の建物
初期聖書協会の建物

 

それから4年、メリーの話に強く感動した人々の協力によって、世界で最初の聖書協会がイギリスに設立されました。

「誰もが買える価格で聖書が読めること」。「人々が普段使っている言語で聖書を読めるようにすること」。これこそ、聖書協会の働きの出発点となりました。

それから200年以上がたち、活動の輪は着実に広がり、現在では世界の146か国に聖書協会が設けられ、聖書の翻訳・頒布が進められています。今日もまた、聖書を待ち望む現代の「メリー」たちに、1冊でも多くの聖書を手渡すために。


メリー・ジョーンズ・ピルグリム・センターの設立

バラ(Bala)の町は聖書協会発祥の地です。2007年、英国聖書協会は北ウェールズのバラ湖のほとりにある聖ベウノ(Beuno)教会を購入しました。この教会の境内には、メリー・ジョーンズに聖書を渡したトーマス・チャールズ牧師の墓があります。

イギリス聖書協会の基盤を造ったと共に、聖書協会の世界的な広がりをもたらしたメリー・ジョーンズの物語を記念して、英国聖書協会はチャールズ牧師の召天200周年にあたる2014年の完成を目指して、この地にメリー・ジョーンズ・ピルグリム・センター(Mary Jones Pilgrim Centre)の設立を決定し、世界に支援を呼びかけました。この求めに応じて、日本聖書協会も2013年、全国に募金を呼びかけ、英国聖書協会に1万ドルの支援をいたしました。メリー・ジョーンズ・ピルグリム・センターは2014年10月にオープンし、記念式典が盛大に開かれました。


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