あなたが迷っているとき、悩んでいるとき、
嬉しいとき、感謝したいとき…
こんなときは聖書の
この箇所を読んでみてください。

くやしいとき

怒ることがあっても、罪を犯してはなりません。(エフェソの信徒への手紙 4:26~32)

体調がすぐれないとき

主は私の羊飼い。/私は乏しいことがない。主は私を緑の野に伏させ/憩いの汀に伴われる。主は私の魂を生き返らせ/御名にふさわしく、正しい道へと導かれる。たとえ死の陰の谷を歩むとも/私は災いを恐れない。/あなたは私と共におられ/あなたの鞭と杖が私を慰める。私を苦しめる者の前で/あなたは私に食卓を整えられる。/私の頭に油を注ぎ/私の杯を満たされる。命あるかぎり/恵みと慈しみが私を追う。/私は主の家に住もう/日の続くかぎり。(詩編 23:1~6)

誰かに嫉妬してしまうとき

「今日は生えていて、明日は炉に投げ込まれる野の草でさえ、神はこのように装ってくださる。まして、あなたがたにはなおさらのことではないか、信仰の薄い者たちよ。だから、あなたがたは、『何を食べようか』『何を飲もうか』『何を着ようか』と言って、思い煩ってはならない。」(マタイによる福音書 6:24~34)

愛する人を失ったとき

私は確信しています。死も命も、天使も支配者も、現在のものも将来のものも、力あるものも、高いものも深いものも、他のどんな被造物も、私たちの主キリスト・イエスにある神の愛から私たちを引き離すことはできないのです。(ローマの信徒への手紙 8:38~39)

神が離れてしまったと感じるとき

主は高くおられ、低くされた者を顧みる。/遠くから、高慢な者を見抜かれる。たとえ私が苦難の中を歩んでいても/あなたは私を生かし/手を伸ばして敵の怒りを防ぎ/右の手で私を救ってくださる。主は私のためにすべてを成し遂げてくださる。/主よ、あなたの慈しみはとこしえに。/御手の業を止めないでください。(詩編 138:1~8)

孤独や恐れに襲われるとき

ある日のこと、イエスが弟子たちと一緒に舟に乗り、「湖の向こう岸へ渡ろう」と言われたので、船出した。渡って行くうちに、イエスは眠ってしまわれた。突風が湖に吹き降ろして来て、弟子たちは水をかぶり、危なくなった。それで、近寄ってイエスを起こし、「先生、先生、このままでは死んでしまいます」と言った。イエスが起き上がって、風と荒波をお叱りになると、静まって凪になった。イエスは、「あなたがたの信仰はどこにあるのか」と言われた。弟子たちは恐れ驚いて、「一体、この方はどなたなのだろう。命じれば風も水も従うではないか」と互いに言った。(ルカによる福音書 8:22~25)

死について悩むとき

「心を騒がせてはならない。神を信じ、また私を信じなさい。私の父の家には住まいがたくさんある。もしなければ、私はそう言っておいたであろう。あなたがたのために場所を用意しに行くのだ。行ってあなたがたのために場所を用意したら、戻って来て、あなたがたを私のもとに迎える。こうして、私のいる所に、あなたがたもいることになる。 (ヨハネによる福音書 14:1~3)

「罪」をおかしてしまったとき

神よ、私を憐れんでください/あなたの慈しみによって。/深い憐れみによって/私の背きの罪を拭ってください。過ちをことごとく洗い去り/私を罪から清めてください。私は自分の背きを知っています。/罪は絶えず私の前にあります。あなたに、ただあなたに私は罪を犯しました。/あなたの前に悪事を行いました。/あなたの言われることは正しく/あなたの裁きに誤りはありません。私は過ちの内に生まれ/母は罪の内に私を身ごもりました。あなたは心の奥底に真実を望み/隠された所で知恵を授けてくださいます。ヒソプで私の罪を取り払ってください/私は清くなるでしょう。/私を洗ってください/私は雪よりも白くなるでしょう。あなたが喜びと祝いの声を聞かせ/砕かれたこの骨を喜び躍らせてくださいますように。御顔を私の罪から隠し/あらゆる過ちを拭ってください。神よ、私のために清い心を造り/私の内に新しく確かな霊を授けてください。 (詩編 51:1~12)

祈りたいとき

イエスはある所で祈っておられた。祈りが終わると、弟子の一人がイエスに、「主よ、ヨハネが弟子たちに教えたように、私たちにも祈りを教えてください」と言った。そこで、イエスは言われた。「祈るときには、こう言いなさい。/『父よ/御名が聖とされますように。/御国が来ますように。私たちに日ごとの糧を毎日お与えください。私たちの罪をお赦しください。/私たちも自分に負い目のある人を/皆赦しますから。/私たちを試みに遭わせないでください。』」(ルカによる福音書 11:1~4)

「そこで、私は言っておく。求めなさい。そうすれば、与えられる。探しなさい。そうすれば、見つかる。叩きなさい。そうすれば、開かれる。誰でも求める者は受け、探す者は見つけ、叩く者には開かれる。あなたがたの中に、魚を欲しがる子どもに、魚の代わりに蛇を与える父親がいるだろうか。また、卵を欲しがるのに、さそりを与える父親がいるだろうか。このように、あなたがたは悪い者でありながらも、自分の子どもには良い物を与えることを知っている。まして天の父は、求める者に聖霊を与えてくださる。」 (ルカによる福音書 11:9~13)

心の平安が欲しいとき

主にあっていつも喜びなさい。もう一度言います。喜びなさい。あなたがたの寛容な心をすべての人に知らせなさい。主は近いのです。何事も思い煩ってはなりません。どんな場合にも、感謝を込めて祈りと願いを献げ、求めているものを神に打ち明けなさい。そうすれば、あらゆる人知を超えた神の平和が、あなたがたの心と考えとをキリスト・イエスにあって守るでしょう。なお、きょうだいたち、すべて真実なこと、すべて尊いこと、すべて正しいこと、すべて清いこと、すべて愛すべきこと、すべて評判のよいことを、また、徳や称賛に値することがあれば、それを心に留めなさい。私から学んだこと、受けたこと、聞いたこと、見たことを実行しなさい。そうすれば、平和の神があなたがたと共におられます。(フィリピの信徒への手紙 4:4~9)

感謝したいとき

全地よ、主に向かって喜びの声を上げよ。喜びながら主に仕えよ。/喜び歌いつつその前に進み出よ。主こそ神と知れ。/主が私たちを造られた。私たちは主のもの。/主の民、その牧場の羊。感謝して主の門に進み/賛美しつつ主の庭に入れ。/主に感謝し、その名をほめたたえよ。主は恵み深く、主の慈しみはとこしえに。/そのまことは代々に及ぶ。(詩編 100:1~5)

人の欠点が気になるとき

「人を裁くな。裁かれないためである。あなたがたは、自分の裁く裁きで裁かれ、自分の量る秤で量られる。きょうだいの目にあるおが屑は見えるのに、なぜ自分の目にある梁に気付かないのか。きょうだいに向かって、『あなたの目からおが屑を取らせてください』と、どうして言えようか。自分の目に梁があるではないか。偽善者よ、まず自分の目から梁を取り除け。そうすれば、はっきり見えるようになって、きょうだいの目からおが屑を取り除くことができる。聖なるものを犬に与えてはならない。また、豚の前に真珠を投げてはならない。豚はそれを足で踏みつけ、犬は向き直って、あなたがたを引き裂くであろう。」(マタイによる福音書7:1~6)

自分本位になりそうなとき

心の企ては人間のもの。/口の答えは主から来る。人の道は自分の目にはすべて清く映る。/だが主はその魂を調べる。業を主に委ねよ。/そうすれば、あなたが計らうことは堅く立つ。主はそれに答えてすべてのものを/災いの日のために悪しき者さえも造った。主がいとうのはすべての高慢な心。(箴言 16:1~5)

責任ある地位に就いたとき

「強く、雄々しくあれと、私はあなたに命じたではないか。うろたえてはならない。おののいてはならない。あなたがどこに行っても、あなたの神、主があなたと共にいるからだ。」(ヨシュア記 1:9)

結婚したとき

互いに耐え忍び、不満を抱くことがあっても、赦し合いなさい。主があなたがたを赦してくださったように、あなたがたも同じようにしなさい。さらに、これらすべての上に、愛を着けなさい。愛はすべてを完全に結ぶ帯です。(コロサイ3:13-14)

思いが揺らぐとき

私は山々に向かって目を上げる。/私の助けはどこから来るのか。私の助けは主のもとから/天と地を造られた方のもとから。主があなたの足をよろめかせることがないように。/あなたを守る方がまどろむことがないように。見よ、イスラエルを守る方は/まどろみもせず、眠ることもない。主はあなたを守る方。/主はあなたの右にいてあなたを覆う陰。昼、太陽があなたを打つことはなく/夜、月があなたを打つこともない。主はあらゆる災いからあなたを守り/あなたの魂を守ってくださる。主はあなたの行くのも帰るのも守ってくださる。/今より、とこしえに。(詩編 121:1~8)

辛いとき・悲しいとき

そこで、イエスは口を開き、彼らに教えられた。「心の貧しい人々は、幸いである/天の国はその人たちのものである。悲しむ人々は、幸いである/その人たちは慰められる。へりくだった人々は、幸いである/その人たちは地を受け継ぐ。義に飢え渇く人々は、幸いである/その人たちは満たされる。憐れみ深い人々は、幸いである/その人たちは憐れみを受ける。心の清い人々は、幸いである/その人たちは神を見る。平和を造る人々は、幸いである/その人たちは神の子と呼ばれる。義のために迫害された人々は、幸いである/天の国はその人たちのものである。」(マタイによる福音書 5:1~10)

誘惑にあったとき

誘惑に遭うとき、誰も「神から誘惑されている」と言ってはなりません。神は、悪の誘惑を受けるような方ではなく、ご自分でも人を誘惑したりなさらないからです。人はそれぞれ、自分の欲望に引かれ、おびき寄せられて、誘惑されるのです。(ヤコブの手紙 1:13~14)

心がふさぐとき

私はどのような時も主をたたえよう。/私の口には絶え間なく主の賛美がある。私の魂は主を誇り/苦しむ人は聞いて喜ぶ。私と共に主を崇めよ。/共に御名を崇めよう。私が主を尋ね求めると/主は私に答え/あらゆる恐怖から助け出してくださった。(詩編 34:1~5)

将来に不安に感じたとき

人が労苦したところで、何の益があろうか。私は、神が人の子らに苦労させるよう与えた務めを見た。神はすべてを時に適って麗しく造り、永遠を人の心に与えた。だが、神の行った業を人は初めから終わりまで見極めることはできない。私は知った。/一生の間、喜び、幸せを造り出す以外に/人の子らに幸せはない。また、すべての人は食べ、飲み/あらゆる労苦の内に幸せを見いだす。/これこそが神の賜物である。(コヘレトの言葉 3:9~13)

眠れないとき

平安のうちに、私は身を横たえ、眠ります。/主よ、あなただけが、私を/安らかに住まわせてくださいます。(詩編 4:9)

疲れてしまったとき

すべて重荷を負って苦労している者は、私のもとに来なさい。あなたがたを休ませてあげよう。私は柔和で心のへりくだった者だから、私の軛を負い、私に学びなさい。そうすれば、あなたがたの魂に安らぎが得られる。私の軛は負いやすく、私の荷は軽いからである。」(マタイによる福音書 11:28~30)

思い煩うとき・悩みのとき

今日は生えていて、明日は炉に投げ込まれる野の草でさえ、神はこのように装ってくださる。まして、あなたがたにはなおさらのことではないか、信仰の薄い者たちよ。だから、あなたがたは、『何を食べようか』『何を飲もうか』『何を着ようか』と言って、思い煩ってはならない。 (マタイによる福音書 6:30~31)

怒りを抑えられないとき

柔らかな受け答えは憤りを鎮め/傷つける言葉は怒りをあおる。知恵ある人の舌は知識に磨きをかけ/愚かな者の口は無知を吐き出す。主の目はすべての場に注がれ/善良な人も邪悪な者も見張っている。(箴言 15:1~3)

私の愛するきょうだいたち、よくわきまえておきなさい。人は誰でも、聞くに速く、語るに遅く、怒るに遅くあるべきです。人の怒りは神の義を実現しないからです。それゆえ、あらゆる汚れや甚だしい悪を捨て去り、植え付けられた御言葉を謙虚に受け入れなさい。御言葉は、あなたがたの魂を救うことができます。(ヤコブの手紙 1:19~21)