『聖書』へと読者を導く文学者・三浦綾子
私は10代の時を、長崎市にあるカトリックの中高一貫の男子校で過ごしました。学校の寮に入り、思春期にあたる12歳から16歳の多感な時期は、同年代の男子生徒との共同生活の中にありました。ご想像どおり、絶えず問題が起きていました。そこでは今日で言う〈いじめ〉も、教師と生徒との対立もありました。ミッションスクールでしたので、司祭やシスターたちとの出会いもありました。今思い起こせば、たいへん貴重な経験であったと思います。
その中学時代、教師から盛んに読書を勧められ、夏目漱石・島崎藤村・芥川龍之介などの近代文学を読み、さらに安部公房・柳田邦男・堺屋太一などの作品を読み進めたことを記憶しています。それらは受験勉強のためという目的で読んだのでしたが、中には、自らの関心から読んだ小説もありました。その一つが三浦綾子の小説でした。『氷点』に始まり『塩狩峠』『ひつじが丘』、三部作の『道ありき』『この土の器をも』『光あるうちに』、さらに『泥流地帯』『海嶺』などを読みました。私の学年では一時期、〈三浦綾子ブーム〉が起き、同級生同士で回し読みをしたほどでした。その当時、作品から受けた衝撃は今も忘れることができません。三浦綾子作品と出会った約三年後に、私はキリスト教の洗礼を受けました。人間の罪とそこにある絶望感、作者が示す罪の赦しと回復の希望が、私を入信へと導いたのでした。
三浦綾子文学に関する解説書に『三浦綾子 人と文学(日本の作家100人)』(勉誠出版、2005年)があります。その著者・岡野裕行氏は彼女についてこう語ります。「三浦綾子は、自らがクリスチャンであること、伝道のために小説を書いていることを、作家としてのデビュー当初から公言してきた。作品のいたるところにキリスト教の思想が散りばめられ、自らの作品が読者を『聖書』へと導くための伝道の手段となることが、己の作家としての役割であるとの思いを、一貫して持ち続けてきた稀有な作家であった」と。作家としての三浦綾子は、読者を聖書の世界に導き入れる案内人のような存在であったと評する点に私は深く納得します。私自身も『塩狩峠』を読んだ後に、国際ギデオン協会からいただいた口語訳の新約聖書を丁寧に読みました。同じような経験をした方々は数多くおられると思います。そしてこれからもそのような、読後に聖書へ導かれる経験をする方々が起こされることでしょう。
2022年4月25日に三浦綾子の生誕100年を迎えました。三浦作品の継承と保存のために、映画『塩狩峠』『海嶺』のHDリマスター化のクラウドファンディングが行われています。日本聖書協会にとりましては、現存する最初の日本語訳聖書の翻訳に関わった山本音吉の生涯を題材にした作品『海嶺』を後世に伝えたいという思いに賛同しています。この尊い事業への支援をぜひお願いしたいと思います。この事業もコロナ禍の影響を受けておりますが、皆さんの協力を得て成し遂げ、次世代につなげていきたいものです。よろしくお願いいたします。
主の恵み
2022年4月26日
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