『お互いさま精神』を新たに
コロナ禍は三年目に入りました。マスク着用・手洗いうがい・ソーシャルディスタンスなどの習慣は、完全に定着しているように思います。しかし、キスやハグなどの人間同士の接触が文化・風習的に根付いているラテン系の国々では、これらの習慣がとても大きなストレスになっているとのことです。行動制限に関する多種多様な対応や反応があることを、コロナ禍で改めて気づかされました。
私が住む地域には、在留外国人が多く生活しています。出入国在留管理庁の統計では令和2年6月末における在留外国人の数は2,885,904人で、日本国籍を取得する方々も年々増えているということです。ちなみに近所には中国人・韓国人・アメリカ人・イギリス人・スロバキア人・インド人・フィリピン人・バングラデシュ人などの多様な国籍の人々が生活しています。
区では「住民が安心して住みやすい地域にしよう」との目的で、ゴミ拾いの協力、共有スペースの使い方のマナー、夜遅くの騒音注意、子どもたちが遊ぶスペースでの配慮、忘れ物・落とし物の取扱注意などを呼びかけています。公団の担当者に伺うと、外国人の増加が唯一の要因ではなく、倫理観が乏しい日本人も増えているから、とのことでした。驚くやら、納得するやらで、言葉がありませんが、良い意味での「お互いさま」精神、すなわち「助け合い・支え合い」の精神がないとコミュニティ(共同体)は衝突が増え、負のスパイラルが生じ、安心して住めなくなりますよ、という注意喚起だと理解しました。
「あなたがたのもとにとどまっている寄留者は、あなたがたにとってはイスラエル人と同じである。彼を自分のように愛しなさい。あなたがたもエジプトの地では寄留者であった。私は主、あなたがたの神である。」(聖書協会共同訳・レビ記19:34)
ビジネスや、隣国との関係においても、同じような側面があります。世界や社会では競争があり、切磋琢磨することで成長していきます。大きな流れの中で、あるものは浮上し、それにそぐわないものは消えていく。それが現実です。一方で、勝つためには手段を選ばないとなると、敵意が生じ、亀裂ができ、争いごとが起きます。だからこそ、ある一定のルールや相互の配慮があって営まれないと、そこに自由は消え、平和から遠ざかるのではないでしょうか。コロナ禍で多くの辛いこと・嫌なこと・悲しいことを経験している私たちですが、共に生きるためには「お互いさまの精神」の価値を再認識する時なのかもしれません。
主の恵み
2022年2月1日
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