手紙という贈りもの
2021年のアドベントに入りました。コロナ禍における2回目のクリスマスを迎えようとしています。日本では緊急事態宣言が明けましたが、民間の調査会社によると、クリスマスを「自宅で過ごす」と考えている人々の数は8割を超えているそうです。そして「自宅で少し豪華な食事をする」ことを通して、喜びを分かち合いたいと思う方々が7割という調査結果でした。また、約2年間長期で帰省していない方々が私の周囲にもおられますが、帰省予定の方々は約3割程度だということです。とても残念なことです。コロナ禍による混迷の状態は、世界中でまだ続いています。
そんな中、ある1通のメールが届きました。「コロナ禍だからこそ愛する方々に手紙を書いて贈ろう」という呼びかけでした。Eメールではなく、自筆で手紙を書こう。または「絵手紙」を作って贈ろうというものでした。毎年私は可能な限りクリスマスカードや年賀状を送っています。ただ、年々その数は減り、写真や動画を添付し、一斉送信できるEメールを使用することが増えました。とても便利ですが、気づいたことがあります。そのEメールは一度読むことはあっても、わざわざ印刷して団らんのスペースに飾り、家族や仲間と分かち合い、喜びを共にする時を持たなくなったということでした。
クリスマスカードの最大の利点はそこに文章によるメッセージだけでなく、自筆のサインや短いメッセージを通して、心のぬくもりが肌感覚で伝わるということなのだと、あらためて思い返したのです。Eメールと異なり、文章によるメッセージだけでなく、カードのデザインも送り手の思いの発露の一部です。特にコロナ禍で今まで以上にLINEなどのモバイルメッセンジャーアプリが利用されるようになりました。チャットやトーク機能を使って、リアルに近いコミュニケーションが可能になりました。しかし、それは当事者だけのものです。カードや年賀状は文化的な要素もあると思いますが、人間の温かさを分かち合える特徴があるということに気づかされたのです。
「それゆえ、機会のある度に、すべての人に対して、特に信仰によって家族になった人々に対して、善を行いましょう。」(新約聖書・ガラテヤの信徒への手紙6:10)
「すべてを吟味し、良いものを大切にしなさい。」(新約聖書・テサロニケの信徒への手紙一5:21)
コロナ禍でリアルに顔と顔とを合わせてコミュニケーションを図る機会が少なくなっているからこそ、心からの思いを伝える良い手段として、この冬あらためて「手紙を書く」ことにチャレンジしてみませんか。多くの数でなくても良いと思います。長くお会いしていない大切な方に贈ってみましょう。私も10通ほど書き始めています。きっと何か良いものがそこから始まるかもしれません。神の恵みと祝福に満ちたクリスマス、そして新年をお迎えください。
主の恵み
2021年12月1日
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